6アウシュビッツ見学

2012年8月 ドイツからトルコ横断6

アウシュビッツ見学

天気は快晴。夏真っ盛りの東欧ポーランドの空には薄く雲かかかっているとはいえ、強い日差しが地上に降り注いでいた。
軽く汗ばみながら、ガイドの先導でアウシュビッツ博物館の敷地内へ足を踏み入れる。

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かの有名な、「ARBEIT MACHT FREI」の文字が掲げられた門をくぐる。ここが収容所のゲートだ。
「働けば自由になる」。もちろん嘘だ。おそらく当時この門をくぐったユダヤ人を始めとする収監者たちにも、わかっていただろう。その気持ちを思うといたたまれなくなる。

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周囲には二重三重に鉄条網のフェンス。もちろん当時は電流が流れていた。
敷地内にはレンガ造りの建物が並ぶ。ポプラの木も植えてあり、整然と並んだ建物を見ていると、どこか郊外の住宅地かと思えてくる。鉄条網と監視塔さえなければ。

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各棟はそれぞれ番号のふられた「ブロック」と呼ばれている。入り口付近には解説用のパネルが展示。

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ガイドは、各ブロックの前で立ち止まり口頭で説明してくれる。淡々と事実を語る口調だ。
次いで実際にブロック内に入り、見学する。建物内のルートは決められていて、指示通りに進む。
廊下や部屋の壁にはたくさんのパネル。部屋の中には模型や、当時の遺物などが展示。

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毒ガスとして使われた「チクロンB」の大量の空き缶。
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「犯罪の物証」と題されたブロックには、虐殺された人たちの遺品が文字通り山となって保管されている。メガネ、靴、入れ歯、まさにおびただしいまでの量。
処刑する前に、いずれ産業品に転用するために体から剥ぎ取ったものだ。この他、特に裕福なユダヤ人が肌身離さず身につけていた貴金属類が狙われた。

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「ブロック11」は死のブロックと呼ばれ、その横には「死の壁」と呼ばれる銃殺刑に用いられるブロック塀が建てられていた。
現在展示されているのはレプリカだが、献花する者は今でも絶えない。
アウシュビッツ見学 (10)

ガイドツアーは、粛々と進む。来訪者でかなりごった返しているが、あまり大声で話す観光客はいない。笑顔もない。そんな気持ちは起こらない。

人体実験を行っていたとされるブロック。実際の懲罰用地下牢などを見学。
処刑台があった。見せしめ的に処刑が行われていたという。
アウシュビッツ見学 (1)

奥に見えるのが、初代所長ルドルフ・へスの家。ここで家族と暮らしていた。処刑台からそれほど離れていない。
アウシュビッツ見学 (11)

だが、そのヘスもこ戦後、裁判にかけられ死刑宣告され、処刑台で処刑された。
クレマトリウム」と呼ばれる、ガス室と遺体焼却炉の複合施設へ。アウシュビッツ内に最初に作られたガス室だ。ただ、これは戦後、部分的に復元されたもの。
アウシュビッツ見学 (2)

ここにも入ることができた。ただただ祈るしかない。写真を撮る気にはなれなかった。

ここでアウシュビッツ見学ツアーは一度中断。外に出る。

「アウシュビッツ収容所」と一まとめにされることが多いが、この辺りには3つの大きな収容所群がある。ここで見たのは、アウシュビッツ1と呼ばれる、一番最初にできた収容所だ。
ナチスドイツは続々と送られてくるユダヤ人に対応するため、第2、第3と施設を増やしていった。
ツアーが次に向かうのは、アウシュビッツ2「ビルケナウ」だ。実は規模で言えば、このビルケナウが最大のもの。

ビルケナウ

バスツアー参加者が再集合して、ビルケナウへ移動。ちなみにビルケナウへの移動は、無料の巡回バスも出ているようで、個人で訪問しても大丈夫。

アウシュビッツ見学 (4)

ここでまた、各言語コースに分かれる。
先ほどと同じガイドさんも到着。ツアー再開。
ビルケナウはとにかく広い。

アウシュビッツ見学 (3)アウシュビッツ見学 (7)

かつては、この広大な敷地に300もの施設が建っていたようだが、そのほとんどは粗末な木造小屋で、現在では失われてしまっており、緑の草原が広がるばかり。

有名な鉄道引き込み線路。ここが終着点。文字通りの終着駅。
アウシュビッツ見学 (5)アウシュビッツ見学 (6)

ユダヤ人をはじめとする人たちは、この貨車にすし詰めにされてヨーロッパ各地から運ばれてきた。あまりの劣悪な環境のため、移動途中で死ぬ者も多かったという。だが生き残った者の多くも、その場で選別され、ガス室へと直行させられたのだ。
たとえ選別から逃れた者でも、人体実験の道具にされたり、強制労働のあげく死んだり、栄養失調や劣悪な居住環境の中でチフスにかかるなどして、結局は死ぬ運命にあった。

いくつか残された施設の中に入り見学。
粗末な3段ベッド。空調施設もない。
アウシュビッツ見学 (8)アウシュビッツ見学 (9)

「エンジェル・オブ・デス」ことメンゲレが人体実験を行っていたとされる施設跡なども見学。
当時はクレマトリウム(ガス室と遺体焼却炉の複合施設)が4つあったが、ここに限らず主だった施設は、犯罪の証拠隠滅のため、ナチ撤退時に破壊されてしまったそうだ。

ビルケナウは、意外とあっさりと見学終了した。ほとんど何も残っていないので仕方ない。

これでアウシュビッツ博物館のガイドツアーは終了となった。最後にガイドさんから挨拶があり、お開き。年々見学者は増えているとのこと。ぜひ一人でも多くの人に見てほしい。
アウシュビッツ・ビルケナウ収容所での犠牲者の総数は120万人とも150万人とも言われ、その正確な数は不明だ。
想像を絶する。
現場を見ても、やはり想像できない。
だが現実だ。実際に起こったのだ。直視するしかない。
歴史を愚直に学ぶ。ただそれだけが未来への道だと思う。

またツアーバスに乗り込み、クラコフへ戻る。
夕闇が迫る、平和な街がそこには待っていた。

最後に、英語ガイドツアーに関して。
このグループのガイドさん、流暢に英語をしゃべるが、いかんせん東欧訛りが激しかった。発音は明瞭だが、R(アール)の音まではっきりと発音する。たとえばミスターが、ミステルといった具合。ドイツ系やインド系の発音に似ている。かなり注意して聞かないとリスニングが厳しい。イントネーションも独特。同じグループのアメリカ人らしきカップルも、聞き取りにくい英語だとこぼしていた。
また、地名や人名や学術用語などは英語式の発音となるので、これまた頭の中で変換して考えるのが大変だった。こういった発音違いが頻発するので、かなり苦労した。後半は疲弊して、説明に集中できなかった。
やはり、よほど英語に達者な人以外は、日本語のガイドに頼むのがいいと思う。
でも、ありがとうガイドさん。名前は忘れたけど、あなたの顔は忘れません。

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おすすめ関連図書

アウシュビッツ博物館ただ一人の日本人ガイド氏による案内本。必読。クラコフ市内観光についても触れてある。

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